いわき市立美術館で、現代美術の展覧会「Next World-夢みるチカラ」を鑑賞してきました。
今回の展覧会は、国内外の優れた戦後美術の収集を得意とするいわき市立美術館と、現代美術のタグチ・アートコレクションのコラボレーション企画でした。
共催者であるタグチ・アートコレクションとは、実業家の田口弘さんと長女の美和さんが親子2代で築き上げた国内有数の現代美術コレクションです。
いわき市立美術館ニュースによると、田口弘さんは現代アートコレクションを日本に残すための貢献が評価され、昨年度の文化長官表彰も受けているのだとか。
そんなタグチ・アートコレクションでは、「見てもらうことで作品は機能する」という田口さんのモットーによって、あえて箱(自社の施設)を所有せず全国各地の美術館を活用した展覧会を開催しています。
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そのため、美術館においても作品の魅せ方や集客方法で変革が求められる時代に入っており、近年では、SNS投稿用の写真撮影を許可する展覧会も増えているのだとか。
私のような素人からすれば、SNS上に写真を投稿してしまったら、「とりあえず見た」という満足感によって来場者が減る感じがするのですけど。
多くの美術館では、【オンライン上の「情報」としてアートを見ること】と【実際に足を運ぶことによる「鑑賞体験」】は異なるものだと考えているようです。
田口美和さんは、いわき市立美術館ニュースで以下の話をしています。
【オンラインはリアルの代わりにならない】
ワッと入ってくる。でも画面を通じてくるものは情報だから、仰る通り(オーラなどを)読み取るのが非常に疲れます。リアルで出来ない事が出来たりして面白いから否定はしないんですけど、リアルの代わりにはならないという感じはありますね。(※括弧内のキーワードは、私が補足で入れました。)
そんな私も、現代美術のためだけにわざわざ浜通りに向かうわけですから、美和さんの話がとてもよくわかります。
また、長くインターネットの世界で仕事をしていると、だからこそ、オフラインやリアル、アナログの良さもわかるようになります。
コロナ禍の厳しい時代に、アートに興味を持つ人と作家や収集家、美術館がつながる入口が増えると考えれば、写真のオンライン投稿にはリスク以上の効果があるのかもしれません。
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今回の「Next World-夢みるチカラ」も、大半の作品が写真撮影OKでした。オンラインとリアルでは、感じるものも大きく違うと思いますが、今日はとりあえず私が撮った現代美術の一部をご紹介しておきます。
入り口で待ち構えていた大きなカモシカさん。
このカモシカは、
東洋経済2021年2月20日号の表紙にも載っていました。これを完成させるまでの工程と情熱を想像すると、気が遠くなってしまいます。
灰色の山 (会田誠)横幅だけで7メートルもあるため、広角カメラじゃないと撮れないほど巨大な作品でした。この山を覆っているのは、スーツ姿のサラリーマンたちです。過労大国の日本らしい作品ですよね。ワクチン接種もできないまま、東京オリンピックに借り出されるボランディアの人たちにも見えます。
コロナ禍になってから、重症者数や死者数といった「数」で物事を片付ける人が増えた感じがします。ですが、この作品が示すとおり、すべての人は代わりがきかない唯一無二の存在であり、一人ひとりに多彩な物語があるのですよね。
そう考えると、この作品には、自分が目を背けたい現実がある人などが、人間の命の重みを数字に置き換えて「大したことがない」と片付けることへの強い違和感や批判的メッセージが込められている気がしました。
また、この山のなかには、コロナの重症化や過労でボロボロになった自分が埋もれているかもしれません。人間は何らかのきっかけで、自分がこれまで「大したことがない」と他人事に思っていた側に行く可能性もあるのです。
こうしたことから、一見シニカルなように思えるものの、実はとても愛の詰まった奥深い作品だと感じました。
ここからは、私がその場に立ち尽くしてしまった作品たちです。
この展覧会で最も好きな作品でした。私の頭のなかもこんな感じです。しかし私の場合、自分の脳内に生み出した「あべこべなもの」をなぜか普通や一般的な姿に整えようとする問題があります。
この絵で例えるなら、頭の上から手が生えていたり、目が4つあっても許されるのが創作だと思うのですけど。固定概念にとらわれて「いい子の作品」にしようと考えたり、万人受けや正解を求めてしまうところが、私の大きな問題なのかもしれません。
それではつまらない人間になってしまいますよね。職業病というのもありますが、これは写真撮影にも言える課題です。
先日、テレビ出演されていた田口美和さんが現代アート鑑賞のポイントとして、以下の話をされていました。
「心の中に少し拒否的な気分がおきたものとか、全くわからないとか、なんかこれ自分にとって嫌だなとか、そういうものに出会ったら逆にチャンスだと思ってください。そのザワザワが世界への入り口だと思います。」
皆さんは、「ザワザワする入り口」を見つけられましたか?
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会場内でとても共感できる言葉を見つけました。
「あなたの絵をちょっと説明してくれませんか」といわれることがある。「口で伝えられるくらいなら、絵に描いたりしません」というのが私の返答だ。ピエール・アレシンスキー 「自在の輪」(出口裕弘訳、新潮社、1976)
この言葉は、「抽象的なことを、わざわざ具体的に置き換えようとするタブー」について言及されているのではないかと思います。
やはり職業柄感じることですが、最近「詳しく説明するリスク」について考える機会が多くなりました。
多くの人は、芸術作品そのものや目の前の他者を理解したいと思ったときに、「自分が理解できるだけの説明」を求めてしまうものだと思います。
これは、売上達成などの同じ目標に向かう社内やビジネスシーンなどではとても有効なことでです。逆に言えば、「説明を通した互いの認識の一致」がなければ、同じベクトルで一緒に仕事をすることはできません。
ですから、例えば、上司が部下に「今回の件を私が理解できるように説明して?」と問いかけるのは、ビジネスシーンにおいて必要な要求だと思います。
一方で、現代アートなどの作品や私生活においては、「説明しない方がいいこと」がたくさんあります。それは「頭で理解するのではなく、心で感じ合った方が良いことが多い」という意味です。
例えば、妊娠出産の大変さを女性がいくらわかりやすく説明したところで、子宮を持たない男性がその気持ちを「頭」で理解することはできません。
また、インターネットの情報や専門書を使って勉強をしても、男の人が妊娠出産できるようにはならないのです。
これは極端な例ではありますが、どれだけ詳しく説明しても理解してもらえないものは、意外にたくさんあります。
では、こういうときにどうすればいいのかというと、言語によって与えられた情報を「頭」で読み取るのではなく、エネルギーをそのまま「心」で受け取り、「自分事」として捉えようと努めればいいだけの話です。
相手にたくさんの説明(言葉)を求めすぎてしまった場合、話をしているうちに当初のエネルギーが削がれ、苦悩や興奮が「ただの情報(データ)」に転換される問題も生じがちです。
何と言いますか。相手が語り始めた苦悩や興奮がデータに置き換われば、そこに共感が生まれることはありません。
ですから、最近の私は、心ではなく「頭」で理解しようと努めることには、他者のエネルギーによって「自分の心」を揺さぶられないようにする「防御の意味」もあるのではないかと感じるようになりました。
これは、相手から噴出するエネルギーをそのまま受け取ろうとすれば「自分事」であり、一方で根掘り葉掘りたずねることでエネルギーを削いでしまうと、自分の心は動じないわけですから「他人事」になるという話でもあります。
芸術家の皆さんは、人の心を揺さぶる作品を生み出したいと願っています。
ですから、そんな人たちに「あなたの絵をちょっと説明してくれませんか?」と尋ねてしまうのは、作家さんのエネルギーを「自分事にする姿勢の放棄」に近いことなのかもしれません。
また、私たち一般人のプライベートにおいては、自分が重要だと感じていることを他者に話そうとする場合に、まずは一度立ち止まり、その内容が以下のどちらに該当するかを考える習慣を持つことが大切だと感じます。
・他者に理解してもらった方がいいこと
・自己表現(自己完結)した方がいいこと
コロナ禍などの厳しい時代を生き抜くには、自分の内面にあるエネルギーを上手く活用することが大切です。
心のエネルギーさえあれば、大きな壁や逆境が訪れても乗り越えられます。
しかし、エネルギーというのは、石炭などと同じように一時的に枯渇することあります。
ですから、時には、他者に理解をしてもらうためのエネルギー「浪費」をやめて、自己表現という形の「昇華」をさせてみてもいいのではないかと思います。
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今回の「Next World-夢みるチカラ」も、心が深いところから大きく揺さぶられまくる、良い意味で非常にしんどい展覧会でした。また、人々の怒りや疑問、苦悩といった鋭いエネルギーの針が自分の心に突き刺さるのは、とても「イタキモチイイ(痛気持ちいい)」と感じます。
ほかにも多くの写真を撮影してきましたので、折を見て、じっくりアーティストに想いに寄り添いたいと思います。
素敵な作品をありがとうございました。