例えば、企業やメーカーが偽ブランド品の販売や食品偽装などをした場合、刑事処分や行政処分に加えて社会からボコボコに叩かれ、深刻な経営危機に陥るのが一般的です。
ところが、そういう偽物を罰する日本人のなかには、自分だけに好都合な「偽物の人間関係」を好む傾向がなぜかとても高くなっています。
偽物の人間関係とは、「自分の思いどおりに相手が動いてくれて、なおかつ自分が絶対に傷つかない関係」といえばわかりやすいでしょうか。
対等性が著しく低い支配-被支配かのような関係や、懐メロの歌詞などに出てくる「都合のいい女」もまさにそれです。
また、いわゆるビジネスのなかには、嘘を重ねることでお客様に「夢」を見させて、お金をガッポリ儲ける類のものもたくさんあります。いまの時代は、多くの人が「虚構」に飢えていますから、そういうビジネスは本当に儲かりやすいです。
逆にいえば、夢を見させてくれる店・施設に通い続けるお客様は、自分に優しくしてくれる店員さんの「本音」や「事実」に無関心です。そういうお客様の多くは、店側がうまく構築した「夢」や「虚構」を、いつしか「本物」と思い込むようになります。
結果として生じるのが、かけがえのない命が奪われる悲惨な事件です。
ただし、「嘘をつくこと・騙すこと」自体は、問題の本質ではありません。
例えば、不治の病の患者に余命をあえて伝えない家族や医療従事者がいるのと同様に、世の中には、互いの関係や命を保つために「嘘が必要なシーン」もたくさんあります。
また、一般論で考えれば、自分が偽物の人間関係やコミュニケーションを好む場合、相手が「嘘つき」でも一向に構わないはずです。
「私たちは「おあいこ」だし、偽物LOVEだもんね!」でいいでしょう。
でも多くの人は、他人から嘘をつかれたり支配されたりすることを、なぜかひどく嫌います。「騙された側である自分も、実は多くの嘘をつきながら生きている」という現実が見えていないのです。
息を吐くように日々嘘をつきまくっている人でも、自分が他者から嘘をつかれると、自らを棚に上げて「アイツは私を騙した!ひどすぎる!」と被害者面をする。
「自分は嘘をつきまくるけど、他人の嘘は絶対に許せない。」
そういう加害者性と被害者性のカオスが、最近とても気になっています。
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昨年から、あちこちの仕事仲間と「記事情報における本物偽物の違い」について議論することが多くなりました。
Google検索で上位表示させるための文章の書き方に「SEOライティング」というものがあります。
SEOライティングとは、わかりやすくいえば記事に関連するキーワードやネタを上手い具合に散りばめることで、Google君に高く評価してもらえる手法です。もちろん他にもテクニックはあるのですが、ざっくりいうとそういうものになります。
そんなSEOライティングには大きな問題があります。それは技術に固執しすぎた場合に、そのカテゴリの専門家や一流の物書きなどから見て「偽物っぽい文章になること」です
例えば、不動産投資の記事をつくるときにSEOのテクニックに固執しすぎると、不動産投資の専門家から見て「明らかに不自然で胡散臭い文章」になることが多いです。
その文章は、内容的に正しいうえに非常に読みやすく、誤字脱字もなく整っているのですが、だとしても「偽物臭がプンプン漂う文章」になるのです。
これは、人と人のコミュニケーションにもいえることです。
例えば、会話のなかで社交辞令・お世辞・心理操作やコミュニケーション手法などのテクニックを必要以上に使うと、見極め力が高い人は「この相手は自分をコントロールしようとしている(→何か魂胆があるのでは?打算的な人?)」と気づきます。
そして、話し始めて数十秒~数分で違和感→信用を失うのが一般的です。
そのコミュニケーションの先にどんなに素晴らしい話や成果が待っていたとしても、自らが一方的に相手をコントロールし始めた時点で、健全な人間関係の本質からは逸脱します。
一方で見極め力が高い人は、それなりに成熟した大人であることが多いです。
彼らは相手のコントロールに気づいても「あなたは失礼な人だ!」などと露骨に言うことはありません。後ずさりしながら静かにフェードアウトしていくだけです。
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上記のSEOライティングとコミュニケーション手法に共通するのは、いわゆる情弱な人たちしか釣れない「偽物」だということです。(※情弱:情報資源に満足にアクセスできない人や、情報を充分に活用できない人を指す俗称)
情弱とされる人たちをたくさん釣れば、即座に売上が上がり販売実績も増え、その手法が大成功しているかのように見えてきます。
でも、情弱の人たちには、その多くに深い考えなく目の前の良さそうなものに飛びつくミーハーの側面もありますから、競合にさらに良いものがあれば、そちらに移ってしまう可能性も高いです。
それは、アフリカ大陸などで植物を食い尽くしながら大移動する、バッタの大群にもよく似ています。
また、小手先の技術に固執した偽物は、比較的すぐ化けの皮が剥がれます。一時的・短期的にうまくいっても、中長期的・永続的に成功し続けることはありません。
物事の本質を見極め「本物」を好む人たちは、そういう小手先の技術を使っていることに気づいた時点で幻滅します。そこにアクセスすることは二度とありません。
そうなると、また新たな情弱な人たちを釣るために、薄っぺらなテクニックにテクニックを重ねざるを得なくなります。
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私が最後のサラリーマン生活を送ったファーストフードの会社は、全国No.1のフランチャイジーでした。
その会社では、新人さんをロープレ無しでいきなりレジに立たせていました。ロープレとは、接客シーンを想定した練習のことです。
先輩に「なぜロープレをやらないのか?」や「ロープレは絶対に必要だと思う!」と話をしたところ、かえってきた答えは「小器用になっちゃうから」でした。
確かにそうなのですよね。
接客・営業・コールセンターなどでめちゃめちゃロープレをやりまくると、お客様から見て「小器用な大根役者」が生まれやすくなります。
仲間内でおこなうロープレのやり過ぎは、プロフェッショナルではなく「ロープレが上手い「だけ」の人」を生み出すのです。また、上司や先輩もロープレをやりまくっていた場合、その組織全体が「ロープレがただ上手いだけの無機質集団」になることもよくあります。
一方でファーストフード店に来るお客様は、店員に「小器用さ」や「上手い接客」を求めていません。彼らに求めているものがあるとするならば、その多くは「心のこもった接客」や「フェイクではない誠実な対応」ではないでしょうか。
新人スタッフのネームプレートに「初心者マーク」や「研修中」の文字があれば、接客用語をスラスラ言えないことが突っ込まれることは基本的にありません。
というより、いわゆる客商売の多くはお客様の心を動かすことも大事な役割ですから、そのためには「自分の血肉となった言葉」が必要である気がします。
そして、小器用なスタッフに「心」がこもっていない場合、その仕事は「別に人間じゃなくていいじゃん?」という話になってきます。そうなのです。無機質で小器用な人の仕事は、AIやロボットに奪われていくものなのです。
偽物の仕事は、人間にわざわざ任せる必要がないのです。
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私は、本来のコミュニケーションは「傷つけ合うもの」だと思っています。
それは、暴言を吐くとか詰る等の「攻撃による傷つき」ではありません。
お互いが違った人格であることを認識し、それでも相手を深く知り尊重しようとすれば、自分の勘違いや無知っぷりに恥ずかしさを覚えたり、自分の理想とのギャップに寂しくなったりする「傷つき」が生じて当たり前だということです。
でもその傷は、他人の物語にアクセスするための出入口になります。
たくさん傷ついた経験があると、さまざまな人の物語と自由に行き来できるようになっていきます。それは「より多くの人の気持ちがわかる」に近いことかもしれません。そして、傷つきから生まれた出入口は、いわゆるアート作品や動植物との交流でも使えるものとなります。
私は自他ともに認める「傷だらけの人」ですが、その傷のおかげで属性関係なく幅広い人や動植物、アート作品と関われるのだと自分では思っています。
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話があちこちに飛びましたが…。
テクニックに固執しない「本物」の人間関係やコミュニケーションとは、自分が大きく傷つくリスクがあるうえに、とても面倒で厄介なものです。
一方でテクニックありきの「偽物」の人間関係やコミュニケーションは、短期的に見れば自分が傷ついたりすることがなく、意外と簡単に利益が得られる「コスパ良さげなもの」かもしれません。
でも「偽物」の人間関係やコミュニケーションでは、私たちの人生をダメにする可能性が高いです。
また、傷つきたくない者同士が構築するのは「利用関係」です。そこから奥深い「信頼関係」に発展することは滅多にありません。後者が「病めるときも健やかなるときも」だとすれば、前者は「健やかなるときだけ」の関係になります。
お客様に「夢」を見させてガッポリ稼ぐ系のビジネスは、その多くが利用関係の上に成り立ちます。
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私たちが人間関係の構築やコミュニケーションを図る際には、ある程度のテクニックもあったほうが良いとは思います。
でも、テクニックに固執しすぎると、まず相手に失礼になってしまいます。また相手が「この人は、私と会話するのにテクニックを使うんだ…」と気づけば、その時点で関係は終わりです。
そういう意味で、人間関係の構築やコミュニケーションで使われるテクニックの多くは、相手にバレたら終わりの「諸刃の剣」なのかもしれません。
人との関わりやビジネスをするうえで何らかのテクニックに固執せざるを得ないのであれば、まずは「自分はなぜテクニックなしで、正々堂々と勝負できないのか?」と自問自答したほうが良いかも知れません。
それを考え抜いた先で初めて、テクニックを健全かつ効果的に使える日々が訪れる気がします。
そして皆さんは、自分が短期的には絶対に傷つかない「偽物」と、傷によって人生を中長期的に豊かにする「本物」、どちらを好まれますか?
自分が理想とする人間関係やコミュニケーションの「あり方」を明確にすることも、互いの幸せに不可欠だと感じる今日このごろだったりします。