
●雑誌SIGHT「何故、手塚治虫はアトムが嫌いだったのか」
●現代思想4「総特集 ユング」
●斎藤環「ひきこもりはなぜ「治る」のか?」
●藤原彰「日中全面戦争(昭和の歴史5)」
●橋爪大三郎✕大澤真幸「ふしぎなキリスト教」
●小比木啓吾「エディプスと阿闍世」
●宇野千代「悪徳もまた」
●安部公房「内なる辺境」
●ドストエフスキー「地下室の手記」
●モーリス セリュラス「呪われた画家たち」
●ヤコヴ・ラブキン「イスラエルとパレスチナ──ユダヤ教は植民地支配を拒絶する」
●マルクス・アウレーリウス「自省録」
昨日気づいたのですが、このあたりはエディプスコンプレックスを中心とする類似テーマなのですよね。いまの私が、それだけこの分野に夢中だという話なのでしょう。

戦争・宗教・ユダヤ人に興味があるので、下記の本も購入しました。
私の脳みそにはどれだけ勉強しても「入っていかない分野」がけっこうあります。
たとえば、ユダヤ人に関する本は5冊ぐらい読んでいるのですが、未だにユダヤ人がなんなのか、よくわかりません。
また地元では、日本酒の酒蔵見学に20回以上行っているのですが、「米をたくさん磨くと大吟醸になる」以上のことは未だに習得できていません。
大学時代も、物理のテストは3回連続0点で4年生まで再履修を続けましたし、私が単位取得できない間に学校の都合で科目自体が消滅することになり、結局単位を取らずに済んだ必修科目もありました。
その程度の脳みそでこういう商売を十数年続けているって、ちょっと面白いですよね。これらの本の内容も、おそらくすぐ忘れるでしょう。
これから年末にかけて数百冊を処分しようと思っているので、当初は「あまり本を増やしたくない。買っても3冊ぐらいかな~。」という感じでした。
しかし、行く度にヤバい本たちと出会い、心を射抜かれてしまいます。
結果として12冊。まあ、今年から一箱古本市の「Book! Book! AIZU! 」もなくなってしまいましたし、最近はあまり本を買ってないので、大目に見てあげましょうか。

会津ブックフェアの会場内で、「私はなぜこんなに古本屋さんが大好きなのか?」と考えていました。
理由はけっこう色々あります。
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【理由① 故人を感じられるから】
まず古本屋さんには「著者が亡くなっている作品」および「所有者が亡くなっている作品」がたくさんあるのですよね。
これは博物館や戦争展にも言えることですが、もうこの世に生きていない人の持ち物や著作物と出会えるのって、なんだかすごくワクワクします。
県立博物館の企画展などに行く度に「うわ~、学芸員さん以外は全員死んでるじゃ~ん!!」と大興奮するのと似た感じでしょうか。
企画展の広い空間にたくさんの顔写真があるのですが、しかし誰も生きていない……みたいな。
なんでしょう。自分を含めた存命の人物は、その大半が「煩悩まみれの迷い子」みたいなものです。
一方で亡くなった人の人生および歴史には、そのすべてに何らかの「終わり方」があり、必ず教訓を教えてくれる価値がある。
たとえば、いわゆるクズみたいな人は現世では鬱陶しがられたりしますが、そういう人の人生から学べることは意外と多かったりする。
芸術家もそうですよね。
芸術的貢献と問題行動が併存する人は、当たり前にたくさん存在します。
生きている間はそれらの行動が問題視され社会批判の対象になりますが、亡くなると同時に数々の問題行動と芸術的貢献が融合したりする。
著名人に限らず、人間の人生って、そのすべてがアート作品みたいにキラキラしていて、必ず価値があるものだと感じます。
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【理由② 多くの個性と適度な距離感で関われるから】
私という人は、古本屋さんに「本を見に行ってる」のではありません。「死人を含めたさまざまな人に会いに行っている」のだと思います。
これはアート展にも言えることです。作品を通じて「人」と触れ合っているのです。
なんでしょう。私は内向的な人間なので、人と会うとめちゃめちゃ疲れてウンザリするのですよね。
相手のことが好き・嫌いとか、尊敬できる・できない、楽しい・つまらないといったことは一切関係なく、誰と会っても非常に疲れてウンザリします。
特に個性が強い人と関わるのは、とても疲れますよね。
私自身、モーレツに個性が強いほうですし、個性を出すことは非常に重要だとは思いますが、その一方で私はすぐに「お腹いっぱい(からの消化不良)」になるので、そんなに多くの個性とは関われません。
人間関係においては、超少食の人間なのです。
その点について、古本屋さんにはさまざまな人の個性が詰まっているわけですが、彼らの個性やエネルギーは本を開かない限り漏れ出ないので、安全かつ適度な距離感でさまざまな個性を楽しめる感じかもしれません。
要するに古本屋さんは、大量の個性が詰まっているのにも関わらず、刺激による疲弊が起こらない場所なのです。
また、会津ブックフェアやBook! Book! AIZU! のようなイベントは、店主さんの個性も垣間見えるところが非常に面白いと感じます。
「あ、この店主さんの本棚めっちゃ好き。どんな人生を歩んできた人なのだろう。」と思いを馳せたりもします。
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【理由③ 俗っぽい宣伝が少ないから】
特定の本を売るための言葉(キャッチコピー)が少ないところも、古本屋さんを好む理由かもしれません。
私は新潟や郡山に行くといちおうジュンク堂書店に立ち寄るのですが、新刊中心の本屋さんって「宣伝」が多すぎてウンザリします。
かくいう私はその宣伝でご飯を食べている人間ですが、個人的には「宣伝による誘導」を好みません。
いや、私の場合は、プロの冷めた目で見てしまうので、宣伝全般に対して好意的になることは基本的に「ない」かもしれません。
ほんとね、この商売を始めてからというもの、あらゆるものを冷めた目で見てしまう非常につまらない女になりました。。。トホホ。
ちなみに私が好きなショーペンハウアーは「読書について」という著書のなかで、悪質な新刊書を批判しつつ、以下のようなことを述べています。
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できれば原著者、そのテーマの創設者・発見者の書いたものを読みなさい。少なくともその分野で高い評価を得た大家の本を読みなさい。その内容を抜き書きした解説書を買うよりも、そのもとの本を、古書を買いなさい。
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私が古本屋さん大好きになったきっかけは、郡山のブックオフでショーペンハウアーと出会えたからなのですよね。
なんでしょう。たとえば、ジュンク堂書店の光文社古典新訳文庫のコーナーに行っても、ショーペンハウアーみたいに古くてマニアックでクセが強い作家の本は、平積みにはならないじゃないですか。
一方で古本屋さんの外国作品コーナーはとてもコンパクトですから、ショーペンハウアーのような作家と出会いやすい。
本を買って「救われた」と思ったのは、このときが初めてだったかもしれません。「私と似た思考回路の人とようやく出会えた!」みたいな。
そう、私はショーペンハウアーを崇拝しているわけではないのです。彼は酷いミソジニーですからね、女性のなかには「クズ男」と思っている人も多いでしょう。
私はユングが大嫌いなのですが、でも最近は個人のシャドウが組織や教育現場にもたらす問題点に関心を持っているので、この本を即座にカゴに入れました。
1979年創刊ですからね、監修者である河合隼雄さんも亡くなっているわけです。
こういうのをスラスラ読めると「ああ、勉強してきて良かったな~」と思います。「話が通じる人がまた増えた」みたいな喜びでしょうか。
個人的には「好きな人・尊敬する人の本」よりも、ユングみたいに「大嫌いな人・理解できない人の本」を読んだほうが、成長・成熟につながる学びは多く得られる気がします。
石破茂前首相が、自分とは異なる思想を持つ「赤旗」を読み込んでいるのと近い感覚かもしれません。
私にとって古本屋さんという場所は、マーケティング戦略のなかで作られたポップや宣伝の影響をあまり受けず、自分の嗅覚と本能で書籍を選んだり故人に思いを馳せたりできる場所かもしれません。
今年の会津ブックフェアも、たくさん楽しませていただきました。
主催者の皆さんありがとうございました。